氣のコラム

旬の話題十五夜の夜、月を通して氣を考える

十五夜の夜、月を通して氣を考える

10月4日は「十五夜(中秋の名月)」です。十五夜とは、旧暦8月15日にすすきを飾ったりお団子をお供えしたりして、月を愛でる行事のことです。日本では古くから月を楽しむ習慣があったそうで、縄文時代頃にはすでに月見の文化の存在が認められていたそうです。月の存在は、どこか神秘的で儚いものとして私たち日本人の心に刻まれています。そこで今回は、「月」の存在を通して、氣について考えてみたいと思います。


昼間は見えないけれど、いつでも存在している

あなたは最近、いつ月を眺めましたか? 月は、太陽が高くのぼる昼間には目にすることができません。夜になっても、都会での明るい街では、よほどの満月でないかぎり月の存在に気がつくことはできません。しかし、電灯のない真っ暗な闇の中に立ってみると、月明かりは暗い道を照らすほど明るく、秘めたる力に気づかされます。

月は、目に見えなくてもいつでも意識すればその存在に気づくことができ、いつでも私たちになにかしらの影響を与えています。海の満潮は月の引力にひっぱられて起こるものですし、満月や新月の夜には出産が多くなる、というのも広く言われています。諸説あるものの、月の満ち欠けによって私たちの身体や心になにかしらの影響があるのかもしれません。

太陽の役割、月の役割

太陽は、地球上の気温を保ち、草木を育て、私たち人間が生きていくためのとても重要な役割を果たしています。では月はどうでしょうか? 実は月は、太陽の自転する速度をちょうど良い具合に遅らせているのだそうです。月がなくなって太陽の自転が今よりも早く回転し始めると、1日の長さは今の1/3に減り、地球は強風にさらされることになります。つまり月は、太陽が私たち人間にとって、ちょうどよい具合に回転するように、うまくコントロールしてくれているのです。

真氣光では、プラスの氣を「光」、マイナスの氣を「影」と例えて表現しています。これは、「太陽」と「月」でも例えることができます。太陽と月は、相互に関係して周囲に良い影響を与えています。マイナスの氣は、一見私たちの自立や幸せや努力する力を鈍らせ、足をひっぱる存在ですが、そういう悪い状態があるからこそ、私たちは人として成長していくことができるのです。成長には、常に痛みや苦しみがともないます。たとえ辛く悲しいことが起ころうとも、それを乗り越え「あのつらい体験があったから、今の自分がある」「あのダメな自分があったから、変わることができた」と、考えることができるのです。

十五夜の夜には、月を眺めながら、いつも毛嫌いしている「マイナスの氣」の役割にも、思いを馳せていただければと思います。

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